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同朋☆僧ヤング~お坊さんのお寺日記とエトセトラ~(仮)

真宗大谷派のお寺をあずかるお坊さん達のブログ

定例布教(4月)

桜舞い散る中、今年度一発目の定例布教(法話会)。


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講師に、三条市の佐々木憲雄さんをお迎えして。

皆さん馴染みの深い『こんにちは赤ちゃん』の歌詞の内容から仏さまのお話を
していただきました。




本日のお話をお聞きして感じたこと。


わたし達は皆、自分の「考え」の物差しを持っています。

常に自分の物差しを使って目の前の物事を判断しているのです。

自分に都合がよければ「是である」、悪ければ「否である」というように。

そういう風にしか、物事を捉えられないのが、この「私」です。

しかしながら、生きていれば必ず自分の「考え」の物差しでは

量ることの出来ない物事にもであいます。

例えば、大切な方とのお別れ。


その時に、この「私」は一体どうしたらいいのか?


そんな「私」に向けられたメッセージの様なものが仏教なのだと思うのです。

実は、「私」というものは自分の「考え」の物差しでは

量ることの出来ないものの上に生きているんじゃないか?…と。


“汝、無量寿に帰れ。無量寿に帰って、無量寿に生きよ”(信国淳)


自分の「考え」の物差しでしか量れない「私」が、それでは量ることの

出来ないもの(無量)にであい続け、歩む。

そこに大切さを見出しているのが仏さまの教えなのではないでしょうか。



最後に、調べてたら出てきたんですけど、『こんにちは赤ちゃん』の後半の
歌詞がけっこう意外な展開を見せてました。


ふたりだけの 愛のしるし

すこやかに美しく 育てと祈る

こんにちは 赤ちゃん お願いがあるの

こんにちは 赤ちゃん ときどきはパパと

ホラ ふたりだけの 静かな夜を

つくってほしいの おやすみなさい

おねがい 赤ちゃん おやすみ 赤ちゃん

わたしがママよ

(作詞/永六輔 作曲/中村八大)




草間朋哉

[ 2018/04/20 18:00 ] お寺の行事 | TB(-) | CM(2)
『こんにちは赤ちゃん』の後半の歌詞、たしかに衝撃でした!
[ 2018/04/20 22:07 ] [ 編集 ]
>倉井くん
佐々木さんは「時間の都合で~」と割愛されてましたが、後半部分は後半部分で人間臭くて良い歌詞だなと思いました!
[ 2018/04/20 22:27 ] [ 編集 ]
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